きたるべき世界恐慌を見越して
僕はtotoをはじめましたよ。
そう。あの
Jリーグの試合結果を予想する
イーバンク銀行と契約をむすんだら
携帯電話からラクラク購入!!
コンピューターが試合結果を勝手に決めてくれて
予想がいらないBIGでいざチャレンジ!!!
あとは、神様のおみちびきを
お祈りしながら待つだけ。。
あ、もちろん当たったら
Shinya 15
大阪を中心に活動中のフットサルチームKYUUBU FCのブログ
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明日は練習やね。
しかし久しぶりに書きます。
なんでかっていうと、ウチのPCがぶっ壊れてたんです。
あれだけメモリーやらハードディスクやら
かけがえのない思い出やらをたっくさん増設してたのに
勝手に壊れやがって!
やっぱ所詮機械やな!ジンコウテキやな!ペッ!
ってなってたワケです。
でも、やっぱPCはいいね。
なので今更ですが、
僕がボールを蹴り始めた話。
僕がボールを蹴りはじめたのは、1993年Jリーグ開幕の年。
当時ヴェルディ川崎のマイヤーが
開幕初のゴールを決めてしまったとき、僕は、
「なんでマイヤーやねん!そこはカズでええやんけ!」と
子供ながらに思ったものでした。
するとふと、
「おれはマイヤーよりうまくなれる!てか、もっと空気を読み取れる!」
と思いたち、気が狂ったようにボールを蹴り始めました。
フジワラ少年、10歳の春のことでした。
そうこうしているうちに、
ロベルト・バッジオの存在を知ってしまいました。
イエローラインのディアドラのスパイク。
スポーツ刈りとみせかけて、えりあしをミツアミ。
なにより、ちょーーーーーうまい!サッカーが!
みーちゃったみーちゃった、せーんせーいにいうーたーろーレベルでした。
こりゃいかんと思い、転校しました。
てのは、地元にはサッカー部のある中学校がなかったので、
サッカー部のある中学校に行ったのでした。
フジワラ少年12歳の春でした。
そして中学校へ入学。
気合を入れて、イエローラインのディアドラのスパイクを
お父さんに買ってもらいました。
縦社会のサッカー部において、イエローラインのディアドラほど
KYなものとは知らず・・・
てなこともありましたが、
そこでshinyaくんやキャプテン・ヒデジと出会いました。
フジワラ少年13歳の春。
あれから13年。
んーーー変わってない。
サッカーのスキルも、精神年齢も。
9フジワラユウキ